雑なにっき

メモがわりに長めのつぶやきをしています。

ライターを自称するということ

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わたしが物書きの仕事をはじめたばかりの頃……といってもまだまだキャリアは浅いのですが。

そういう勧めがあったのもあり、まずはじめに自分で自分のことをライターと自称しました。

 

「わたしなんかがライター自称していいのか……でも肩書きは自分で決めていいって326もラジオで言ってたし……」
みたいなかんじで自分でライター自称することにはだいぶもやもやしましたが、とりあえず形から入ることにしました。
 
そういえば受験期に入るとき、わたしは茶髪だった髪を真っ黒に染めました。それはわたしにとっては「受験生」になるための儀式としての意味合いがありました。今から考えると、「ライター自称」も自分にとってはライターになるための儀式的な意味があったんじゃないかなと思います。
 
そんなかんじで少し続けていましたが、そのうち自分の弱い心が首をもたげてきました。

「文を書いてる人」

書けば書くほどに自分の天井を思い知るというか、上を見たらキリがない。こんなに素晴らしい文章を書ける人がたくさんいる世界で、自分がライターなんか自称して許されるのかなーなんてネガティブな発想になり、その頃にはお仕事をさせていただく媒体も増えてはいましたがわたしは「文を書いたりしてる人」を自称しはじめました。

「ただのサブカルクソオタク」 

そして最近、ついにツィッターのプロフィールを「ただのサブカルクソオタク」にしました。落ち着きます。ライターを自称してるとライターならこうでなきゃああでなきゃといろいろ考えますが、「ただのサブカルクソオタク」であるプロフィールを見つめているときはそういったものから一時的に解放されます。
 
とはいえ、仕事の時はちゃんとライター自称するし、ライターとして責任を持って仕事を頑張ります。ただ、いまのわたしには「ただのサブカルクソオタク」としての時間も必要なんだと思います。

「クズ」不可避 

このまま行くと次は「クズ」あたりを自称しそうだと思っています。今の状態でも街でふと「クズ入れ」の文字を見かけるたびに、そこに体をつっこみたい衝動に駆られます。妄想の中ではわたしはもう何度もクズ入れにインしています。ATMや銀行に行くとほぼ毎回妄想の中でクズ入れにインしてます。
 

 書くことは怖いけど楽しい

 

ネットや紙媒体で文章を書くのはありがたいし、楽しいし、嬉しいけど非常に恐ろしくも思います。書くたびに締めているのは自分の首なんじゃないかな?  みんなそうだと思うけど、どんなにくだらない文章を書いているときも、めちゃめちゃいろんなことを考えて書いています。
 
ライターを自称して恥ずかしくない自分になるために、とりあえずクズを自称し始めるのは避けたいと思っています。